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旧千葉家住宅について

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年4月2日更新
 旧千葉家住宅は、近世山陽道(西国街道)の宿場町として栄えた海田にあって、宿駅の要職を勤めた千葉家の旧宅です。
 御茶屋(本陣)や脇本陣に準ずる施設として、要人の休泊などにも使われた本住宅は、街道沿いに面して建ち、主屋・角屋・座敷棟及び泉庭により構成されています。
 中でも、安永三年(1774年)に建築された座敷棟は、同時期に建てられた附属建物や泉庭とともに、建築当初の統一感ある接客空間の面影を今によく伝えており、平成3年(1991年)に書院が広島県重要文化財、泉庭が広島県名勝に指定されました。
 また、平成23年(2011年)には、郷土の歴史文化の継承や学習に役立ててほしいと、千葉家から海田町へ本住宅が寄贈されました。
旧千葉家住宅外観
旧千葉家住宅平面図

利用案内

□ 一般公開日:毎月第2土曜日の前日から連続する4日間
 ※ ただし、団体見学の際は、上記以外の日程でも見学可能ですが、申請が必要となります。
 見学についての詳細はこちら(海田町ホームページ)

□ 公開時間:10時~16時

□ 見学料:無料

□ 駐車場:只今、工事中のため使用できません。

□ 住所:〒736-0066 広島県安芸郡海田町中店8番31号

□ 見学にあたってのお願い
 ・ 文化財保護のため、住宅内への入場を制限させていただく場合があります。
 ・ 喫煙、飲食、インクを使用した筆記具の持ち込みはご遠慮ください。

宿場町海田と千葉家

 千葉家は、屋号を「神保屋」と言い、家業として酒造業を営んでいました。
 家伝によると、中世前期に房総で勢力を誇った千葉氏一族を先祖とする武士であり、安芸の国へは永正年間(1504~21年)に移りました。初めは大内氏に、後に小早川氏や毛利氏に仕えましたが、毛利氏の移封に伴って武士を辞め、天正年間(1573~92年)に海田へ来住しました。
 江戸時代に入り、西国街道が整備されると、海田市はその宿駅の一つとして、発展していくことになります。宿駅とは、幕府役人・諸大名などの公用の通行に対して、人馬の継立てや宿泊・飛脚などの用をはたすものですが、このうち千葉家では、代々広島藩の「天下送り役(幕府の書状や荷物を扱うこと)」「宿送り役(広島藩の書状や荷物を扱うこと)」といった、宿駅業務を務めました。千葉家には、これらの職務にまつわる数々の資料が伝わっています。

建築

本座敷床の間
 千葉家には、寛政元年(1789年)の屋敷略図が残っており、主屋と角屋は主に日常の生活空間として、座敷棟は接客用の空間として使い分けられていました。この古図によると、かつては奥行きがさらに長く、屋敷を取り囲むように蔵や住居があり、主屋の東側から後方には酒造関係の建物が立ち並んでいたようです。
 現在、文化財に指定されている座敷棟は、江戸時代中期の安永三年(1774年)の建築です。玄関の間・次座敷・本座敷のほか、渡り廊下で浴室、厠といった附属施設とつながっています。かつては新蔵のそばまで北座敷がありましたが、戦時中に一部撤去されています。
 中心となる本座敷には、床の間が設けられ、面皮柱を用い、床脇に付書院を組み合わせるなど、全体として数寄屋風の趣向でまとめられています。

意匠

波兎
 座敷棟は、来客を迎えるもてなしの空間であったことから、随所に趣向がこらされています。欄間には芦雁、波兎、雲竜などがみられます。兎紋については、千葉家の家紋である「月星紋」とも関係があることから、不老不死・子孫繁栄の願いもこめ、好んで使われたようです。建具や座敷飾りまでよく保存されており、建築当初の雰囲気を今に伝えています。

庭園

庭園
植栽
 庭園については、江戸時代の早い時期に営まれたと考えられ、安永三年(1774年)の書院建替と同時に改造されました。庭の最奥部には、千葉家由来の妙見神がまつられ、築山や滝口には古い部分を残しながら、大きな立石をつくばいとして配するなど、優れた意匠がみられます。