中世以前の山陽道は、畑賀から日浦山の北側甲越えを府中へ抜けるのが通常の道筋で、海岸沿いに海田市を経由する道路はまだ十分整備されていませんでした。
その後江戸時代に入り、寛永10年(1633)に幕府巡検使の巡察が行われたのに伴い、広島藩内の道路制度は、画期的に整備がすすめられました。道幅も二間半(約4.5メートル)に定められ、宿駅として海田市の発展が始まりました。
旧山陽道(西国街道)は、大坂と下関を結ぶ主要道として、重要な役割を果たしました。
西国街道・海田市ガイドの会では、西国街道の歴史資源を中心とする地域ガイドを行っています。毎月第4土曜日に開催する定期ガイド、5人~20人で申し込むことができる随時ガイド、毎月第2土曜日に行う1時間程度のミニガイドなど、江戸時代の面影を残す通りを、ツアーで勉強を積んだガイドが案内します。
ガイドの日程や申し込みなどの詳細については、西国街道・海田市 ガイドツアー(年間予定)を確認してください。