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町内文化財案内看板一覧

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年10月4日更新ページ番号:0013517
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文化財名
(リンク海田町HP)
文化財概要

町内文化財案内看板一覧

1 旧千葉家住宅 江戸時代、宿駅海田の要職を務めた千葉家(神保屋)の旧宅。書院が平成3年に広島県指定重要文化財、庭園が広島県指定名勝となった。庭園の見頃は、ツツジの咲く春と紅葉の秋。
2 明顕寺梵鐘 海田市の有力商人によって江戸時代に寄進されたもので、制作した植木氏(金屋)は、海田の一里塚付近に住み、芸州鋳物師筆頭総代を務めた。
3 加藤缶楽の墓 加藤缶楽(ふらく)は、江戸時代中期に海田市の庄屋を務めた。学問にも励み、飢饉対策として藩主に社倉法を提言した。
4 貞福寺霊泉跡 江戸時代に温泉が湧き出ていたと伝えられる。境内には五輪塔も多数あり、中世~近世の繁栄をしのばせる。
5 畝観音免第1号古墳 7世紀前半に築造された円墳で、海田湾岸最大規模の石室を持つ。ふるさと館で出土品を展示中。
6 畝観音免第2号古墳 1号・3号(滅失)と古墳群を形成している。石室の一部を残して失われているが、石室の規模は1号を凌いでいたと思われる。
7 海田観音免のクスノキ 広島県指定天然記念物(昭和61年指定)。中世の灘道沿いに位置し、樹齢400年以上と言われる。
8 上安井古墳石室 東広島バイパス建設時に発見された、東海田字上安井に所在していた古墳。3~4世紀に築造された。発掘調査後に石室のみ現地に移築。
9 西谷第1号古墳 6世紀後半に築造されたと思われる円墳で、横穴式石室・封土がほぼ完全な形で残る。
10 御茶屋跡 宿駅海田にあって、大名などが休泊した施設で、一般には本陣と呼ばれるが、広島藩では御茶屋と呼んだ。建物は現存していない。
11 脇本陣跡 代々海田市の庄屋を務めた加藤家(猫屋)の屋敷跡。宿駅業務のうち、脇本陣を務めた。建物は現存していない。
12 真福寺聖観音菩薩立像 室町時代の作と伝えられる一木彫の像。奥の谷川上流の真福寺から洪水により流された後、現地に安置されたという。
13 旧山陽道 経済・文化の中心である京・大坂と対外交流の窓口である長崎を結ぶ主要陸路。江戸時代に入り、海田市を通る海岸沿いの街道が整備された。
14 十二神将立像 薬師如来の眷属である十二神将が祭られている。檜の一木造で室町時代の作とされており、土石流により流出後、現在地に祭られたと伝えられる。
15 街道松跡 海田に残る最後の街道松として「名残の一本松」と呼ばれた。昭和61年枯死。
16 小請山第2号古墳 尾根上に位置する円墳で、6世紀前半に築造されたと思われ、付近に第1号もあり、古墳群をなす。
17 串山城 丘陵の尾根先端部に中世に作られた山城。本丸跡や溜井戸、堀切が現存する。
18 稲葉道標 熊野方面へ向かう赤穂道と阿戸・吉川方面へ向かう古峠道との分岐点に建てられている。昭和初期までは生活道としてよく利用されていた。
19 城井手跡 中世の山城串山城へ飲料水を送るために設けられた井手の跡。
20 貞福寺のモッコク 海田町指定天然記念物(平成16年指定)。同樹種では、県下有数の巨樹。
21 畑谷貝塚 黒曜石製の矢じりや貝殻が出土した、縄文時代の遺跡。
22 三宅家住宅 海田市の旧家三宅家(新宅屋)の住宅。江戸時代後期~明治時代に建てられた商家建築。平成29年、国登録有形文化財に登録された。【非公開】
23 熊野神社 古くは新宮と称し、熊野新宮大社の分祀とされている。現在の拝殿は、文政八(1825)年に再建。同年には、頼杏坪らによって三十六歌仙絵巻が寄進された。