海田町(カイタチョウ)名誉町民 織田 幹雄(オダ ミキオ)氏をたどる
第9回 選手を変えるコーチの言葉
オリンピック東京大会で陸上競技の総監督として手腕を発揮した織田 幹雄(オダ ミキオ)さん。今回はコーチとしての織田(オダ)さんの指導などを、インタビュー資料やご子息の織田 正雄(オダ マサオ)さんのお話から辿ります。
緊張を解く言葉
緊張し、あがり症な織田(オダ)さんは、「日本の声のかけ方で『頑張れ』の言葉は、緊張する。アメリカでは、『リラックス、リラックス』と言っており、緊張を解くような言葉をかけたほうが良いと思う。」と話していました。ある競技会での1万メートルで負けた選手が「どうしたら勝てますか」と聞いたところ、「次の5千メートルは『最後の直線が見えたらなんでもいいから手を振ってみなさい』とアドバイスをしました。するとその選手は見事優勝しました。
オリンピック東京大会のコーチ交流サロン
織田(オダ)さんがいくつものオリンピックを見ながら、一番気になっていたことは世界の競技者についてくるコーチの行動でした。コーチは食堂でたっぷりと飲食し、他国の選手やコーチの技術を学ぶ姿勢が見られませんでした。
織田(オダ)さんは「オリンピックという折角の機会を無為にすごしている。東京ではコーチに勉強の機会を与えたい。この願いを実現させたい。世界のコーチが一堂に集まれる場を作る。」と言っていました。
コーチが参加しやすいように、オリンピック村のすぐ隣のレストランをオリンピック期間中に借り上げ、コーチが、飲食しながら他国のコーチと自由に歓談できる場を設けました。
毎晩5時頃からコーチだけでなく選手も来て活発に交流しました。
このように織田(オダ)さんは選手だけでなく、コーチの成長についても考えていました。
国旗掲揚台建設のことば
オリンピック東京大会を記念して海田小学校に設置された国旗掲揚台は織田ポールと呼ばれ、織田(オダ)さんの記録15.21メートルの高さです。
「本年十月十日東京において開催されるオリンピック大会を記念して本町(ホンチョウ)が生んだスポーツ界の先覚者織田 幹雄(オダ ミキオ)氏の偉業を称え功績を顕彰するためにここに国旗掲揚台を町民及び関係者の浄財により建設したものである。」(一九六四年九月二十六日)