世界人と成るべし

海田町(カイタチョウ)名誉町民 織田 幹雄(オダ ミキオ)氏をたどる

第11回 今に伝わる織田 幹雄(オダ ミキオ)さん

1928年にオリンピックアムステルダム大会で金メダルを獲得した織田 幹雄(オダ ミキオ)さん。80年以上経過した今でも織田(オダ)さんの生き方、考え方は私たちに受け継がれています。今回は、海田小学校の授業から、織田(オダ)さんが私たちに遺したものをみていきます。

「海田町(カイタチョウ)の誇り、世界人『織田 幹雄(オダ ミキオ)』をパネルで紹介しよう」

海田小学校の国語の授業において、5年生の皆さんが、織田(オダ)さんについての展示パネルを作成しました。展示パネルには、「著書」「新聞記事」「日記」などから学んだ織田(オダ)さんの生き方や考え方が紹介されています。児童の皆さんは、文章を著書や記事からそのまま引用するのではなく、児童それぞれの生き方に、また、生活の中に生かせるような言葉で表現しています。

パネルの作成から

織田(オダ)さんは、小学校の5年生の時の担任「檜垣(ヒガキ)先生」、中学校の体育教師「宇佐美(ウサミ)先生」、オリンピック陸上競技講習会の講師「野口(ノグチ)先生」、国泰寺中学校の「弘瀬(ヒロセ)校長先生」、早稲田大学での「南部(ナンブ)さん」「山本(ヤマモト)先生」など、数え上げたらきりがないくらいたくさんの「出会い」がありました。この出会いが日本人初のオリンピック金メダリストを誕生させたのではないか。パネルにはこのように児童が感じたことなどが記されています。

織田(オダ)さんに出会うことはできませんが、児童はパネルの作成を通し、織田(オダ)さんから生き方・考え方を学んだようです。児童一人ひとりにも今までたくさんの出会いがあり、そして、その出会いがこれまでの自分を作ってくれたことを感じたようでした。今回の織田(オダ)さんとの出会いが、これからの児童それぞれの成長につながるのではないでしょうか。

形として伝わる織田 幹雄(オダ ミキオ)さん

現在、海田町(カイタチョウ)には、さまざまな形で織田(オダ)さんが登場しています。

2007年に海田町(カイタチョウ)教育委員会が制作した「海田かるた」や2005年からシルバー人材センターで作られている「海田名所煎餅」には織田(オダ)さんが跳ぶ姿が描かれています。かいた七夕さん実行委員会が作ったお酒は、織田(オダ)さんにちなみ「ほっぷすてっぷじゃんぷ」という名称です。

海田小学校5年生の児童が作成したパネル、年表、15メートル21センチの足跡などをふるさと館で展示します。

「海田町(カイタチョウ)の誇り、世界人『織田 幹雄(オダ ミキオ)』をパネルで紹介」

海田小学校5年生

期間 3月26日(土曜日)から5月8日(日曜日)

場所 ふるさと館2階企画展示室