海田町(カイタチョウ)名誉町民 織田 幹雄(オダ ミキオ)氏をたどる
最終回 織田 幹雄(オダ ミキオ)さんから学ぶこと
これまで11回に渡って連載した「世界人と成るべし」も今回で最後となります。最後となる第12回では、織田(オダ)さんの陸上に対する姿勢を通して、人としての考え方、生き方を学びます。
運命
織田 幹雄(オダ ミキオ)さんが、著書「陸上競技我が人生」(1997年)の中に「運命」と書いています。運命を引き寄せたのは、必然的な出会い・競技を分析できる観察力・これまでの体験や経験などを生かせた結果だったと思われます。そして、そのタイミングがピタッと重なったのは、1928年8月2日第9回オリンピックアムステルダム大会陸上競技三段跳び優勝の瞬間でした。
おもしろくてしかたがない じぶんのためにやっているのだから
織田(オダ)さんは、あらゆることに「疑問」を持ち、学び考える人でした。「陸上競技我が人生」を執筆するときも、時代に合った内容にしたいと話し、知らないことが出てくると、専門家に熱心に質問しました。それでも分からなければ、外国から書籍を取り寄せて徹底的に勉強しました。
選手時代もコーチ時代も「進歩」するためには楽しみを持って練習し、面白いと思う練習方法の工夫研究をしていました。「日本人の体型に合った自然な動きを見つけ織田式とか大江式とか、独自なフォームを完成させることを心がけた。自分で考え自分で行動し、勇気ある努力をする。それを楽しみでやらなくてはいけない」とも話しています。
織田(オダ)さんの指導は、できないこと、ダメなところばかり指摘するのではなく、選手一人ひとりを見て、達成可能な目標、どこの筋肉をどう使うか、どう鍛えるかを的確に合理的にアドバイスしておられたようです。
枠を作らない世界人
「戦うのはコートの中、フィールドの中だけ」
このように話していた織田(オダ)さんはフィールドを1歩離れたら一人の人間として、ほかの選手たちと対等な関係で接していたようです。国、人種、性別、学年、親子などの枠を全て取り払って、対等な関係、平等な関係を大切にしており、枠組みを超えた意識、横並びの社会を望んでいたのだと思われます。巡回コーチをしていた時の文章にも「戦う相手がいて初めて競技になる。昨日の敵は今日の友、こうでなくては本当の選手とはいえない。」と言っています。
最後に
今に伝わる織田(オダ)さんの資料は、未来を変えることができる、自分を変えることができる、周りの人が変わる手助けができると私たちに教えています。それらを変えるためには自らの勇気で挑戦することが大切なのではないでしょうか。
今回で連載は終了しますが、ふるさと館の展示や著書などで、これからもぜひ織田(オダ)さんについて学んでみてください。