向谷真奈美さん・加藤サチ子さん
プロフィール
むかいだに・まなみ
介護施設職員として20年以上勤務し、現在は海田じらく房で仕事と介護を両立するワーキングケアラーとして奮闘。趣味はライブやショッピング、カリンバ演奏。日々の楽しみを糧に前向きに介護に取り組んでいる。
かとう・さちこ
77歳のときに病に倒れ車椅子生活に。 現在89歳、要介護4。倒れた当日もグラウンドゴルフやマージャンを楽しんでいたほど活動的な性格で、友人も多数。明顕寺の婦人会会長も歴任する。
突然始まった介護の日々驚きと戸惑いを抱えて
空が茜色に染まり始める午後四時半、加藤サチ子さんはデイサービスから送迎車で自宅へと戻ります。「おかえりなさい。今日も楽しかった?」と笑顔で出迎えてくれるのは、加藤さんの娘で近隣に住む向谷真奈美さん。13年前に脳の病で倒れ、車椅子生活となった母を支え、自身も介護の仕事をこなしながら日々奮闘しています。「最初に倒れているのを発見した時は、本当に気が動転してね。親が老いる前に色々心構えをしておくのは大切って聞くけど、いざっていうときにならないと 自分事として考えられないんだと思いました」と、向谷さんは当時を振り返ります。コーラスークルや大正琴、ハーモニカなどの会にはいって公民館活動に精を出していた加藤さんは、もともと元気そのもの。まさか母が倒れるなんて、と向谷さんは驚きを隠せなかったといいます。「初回に出た認定は要介護5。それまでが元気だっただけに、お正月明けに届いた封筒を開けた時のショックが忘れられないんですよ」。毎日、歩くためのリハビリに励んだけど左半身に麻痺が残った加藤さんを支えるべく、そこから家族の介護の日々がスタートしました。
あらためて感じる家族のありがたさ
介護施設に入居するという選択肢もある中、向谷さんが決めたのは在宅介護。加藤さんがまだ若かりし頃、40代で倒れた夫と義母を献身的に介護しながら自分を育ててくれたことが、在宅介護の決め手になりました。「頑張っていたお母さんの姿をずっと見てたから、私も頑張ろうと思って」と、強い眼差しで向谷さんは話します。向谷さん自身も介護職で20年以上働き、介護保険の制度や介護についての基礎知識を持っていたのも強みだったそう。とはいえ、仕事と在宅介護の両立は、精神的にも肉体的にも追い詰められて、自然に涙が出ることも。疲れを感じとった夫が母の介護を手伝ってくれるようになったそうです。毎日仕事が終わった後は、様子を見に加藤さんの自宅へと足を運んでいます。「家族のありがたさがつくづく身にしみました。夫の親にもしものことがあったら、同じように協力し合っていこうとあらためて思いました」。夫婦の結束の固さを再確認したのと同時に、もうひとつ大きな支えとなったのが加藤さんの孫達の存在。孫達は近くに住んでおり、しょっちゅう加藤さんのところへ顔を見せに来てくれるのだといいます。この日も皆が加藤さんを囲み、話しかけます。「おばあちゃん、元気じゃった?」「手冷たくなっとるよ。温かくしとかんと」。ときに頬を寄せるように、ときに手を握りながら話しかけるその様子は、小さい頃から惜しみない愛情を注いでもらったに違いない、心温まる光景です。
日々の楽しみを諦めない前向きな姿勢
介護というと「大変そう」「きつい」というイメージが先行しがちですが、そんな中でも、向谷さんも加藤さんも、明るく前を向いて日々を過ごしています。「もともと穏やかな性格で厳格な父を支える強く優しい母親です。いつも“ありがとう、ありがとう”って。そんな言葉を聞くとやっぱりうれしいし、頑張ろうって思えるんです」と、向谷さん。今までのようにスポーツや文化活動に励むことはできなくなってしまった加藤さんですが、デイサービスで新たに友人を作り、おしゃべりを楽しんだり工作に夢中になって、充実した時間を過ごしているそうです。「時々訪問美容サービスを受けたりもするんです。美容師さんがシャンプー台を持って来てくれて、自宅でカットやヘアカラーをしてくれてね。すごく便利だし、母も喜ぶんです」。そのことについて加藤さんに尋ねると、「女性だからね、きれいにしとかないと。きれいにしとくと気持ちいいしね」と、にっこり。つやつやした栗色の髪がよく似合う加藤さんの笑顔から、満ち足りたくらしぶりが伝わってきます。「コロナが蔓延する前は、皆でドライブにもよく出かけてたんですよ。春は桜を、秋は紅葉を見に、季節ごとに。自家用車を使うこともあったし、福祉センターで福祉車両を借りることもできるから、これから介護がスタートする人には、そういうサービスがあることも知っておいてほしいです」。
介護を通して得た家族の絆 優しさと思いやりを胸に
向谷さん、夫、兄夫婦、最強の孫達。家族は一丸となり、加藤さんを中心として新たなまとまりを見せています。「母が倒れた日は11月11日で、まさかの“介護の日”だったんですよ。後になって気付いたんだけど(笑)」。そんなふうにこの日々が始まった時のことですら、笑って話す向谷さん。そういった強さもまた、家族の心の在りかたやくらしを支える礎となっているのでしょう。最後に、これからの目標や楽しみにしていることを聞くと、「やっぱり、すみれちゃんよね」と、二人で顔を見合わせ花が咲いたような笑顔。なんでも孫息子のお嫁さんのおなかに小さな命が宿っており、もうすぐ出産を控えているのだとか。「おなかの子が女の子と聞いて、母とお嫁さんが候補に挙げた名前が偶然にもまったく一緒の“すみれ”でね。だから、満場一致で“すみれちゃん”」と、向谷さん。そんな向谷さんのうれしそうな様子を見て、加藤さんも「ほんま楽しみよねぇ」と顔をほころばせます。もう一つの楽しみは末孫娘が2歳で大病を克服して、夢だった看護師を目指し、今年20歳を迎えられたこと。介護の日々を通し、優しさや思いやり、家族の絆を痛感したという向谷さんファミリーに、今、新しい春が巡ってこようとしています。
MY Favorite 海田のお気に入り
思い出詰まった旧海田公民館
織田幹雄スクエアができる際に建て替えられましたが、旧海田公民館は、母がコーラスサークル「ひまわり」やパッチワークの会にはいって活動していた思い出の多い場所。今も当時のお仲間が色々と気にかけてくれたりします。