海田町の皆さんへ
海田町の皆さん、酷暑のなかで連日の復旧作業、本当にお疲れ様です。
また、あらためまして、平成30年7月豪雨で被害に合われた全ての方にお見舞い申し上げます。
さて、私は、富山県知事から「被災地に寄り添った支援に努めること」との訓辞をいただき、7月13日から19日の約1週間、10人の富山県及び市町村の職員とともに、海田町役場で災害対応にあたる機会をいただきました。この間、住民の方、役場の職員の方と触れ合う機会も多く、私が感じ取ったところについて、心の命じるままを書いて送りたいと思います。
先ず、海田町役場に到着した13日夕、様々なことに気付いたのですが主なものを挙げるとすれば、先ず住民の皆様、職員の方も純朴で苦しいなかで力を合わせて精一杯災害と闘っておられるということ、また現場で住民の方と触れ合う都度、なんと家族や地域に対する愛情が深い方が多いことか、たとえば春日神社近くの現場において、ある素晴らしい青年と出会うことができました。その青年は豪雨があった夜、押し寄せる土砂のなかを100メートル以上も急な坂道を駆け上がり、土石流により倒壊し大きく傾いた家屋から奥さんのお母さんとその家族を助け出しました。無我夢中だったと思いますが、そこには普段からの愛情や感謝の気持ちがあってこそだと思います。
この話を伺った時、人を思う愛情が人間に大きな勇気と力を与えてくれると確信しました。幾多の災害の現場に赴いた経験のある私ですが、この事実を知るために海田町に来たのではないかと思えるくらいの出来事で私の心は大きく揺さぶられました。
この春日神社で出会った青年のような方が他にもたくさんきっと海田町にはおられたことで、現在の被害に留まったのではないか?それがなければもっと甚大な被害になったに違いないと思いました。
また、家屋や道路、河川の被害はかなり甚大なもので2次災害防止のためには道路や水路の土砂を取り除く作業に緊急性があり、次の雨が来る前に自衛隊の災害派遣が必至と判断できるものでした。
このことから西田町長は、春日神社のある畝2丁目へ自衛隊の災害派遣について県知事に要請、呉市で活動していた熊本県に駐屯する第8施設大隊の約20名が急遽派遣されました。この際も海田町の皆さんは自衛隊に宿泊施設を提供するなど思いやりをもって自衛隊員を受入れ、その期待に応えるべく自衛隊員も出来る限りのことは実施したことと思います。
これからもこの災害との闘い、復旧への道程はまだまだ続き困難が伴うこともあると思います。しかし海田町の皆さんが力を合わせ、人を愛し、郷土を愛する限り必ず復旧以上の復興を達成できるものと確信しております。
最後に、海田町の皆様、どうかご自愛されつつ暑さ、寒さに負けず頑張って下さい。海田町にいつも幸福が訪れることを祈っております。
平成30年7月24日
災害マネジメント総括支援員(登録No.19)兼ねて富山県対口支援第一班長
富山県総合政策局 防災・危機管理課 危機管理調整主幹 福山 達也