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町長コラム

海田町長 西田 祐三(ニシダ ユウソウ)

町(チョウ)の歴史的な魅力について

今月は、町(チョウ)の歴史的な魅力について、簡単に紹介したいと思います。

『海田町史(カイタチョウシ)』を紐解きますと、近世の海田町(カイタチョウ)は、近世山陽道(西国街道)の宿場町として栄えました。その名残を今に伝えるのが、宿駅(※幕府役人・諸大名などの公用の通行に対して人馬の継立てや宿泊・飛脚などの用をはたす。)の要職を勤めた千葉家(チバケ)の旧宅(旧千葉家(チバケ)住宅)です。

千葉家(チバケ)は、来年(平成31年)、浅野氏が藩主として広島城に入城し、400年目を迎える広島藩とも関係が非常に深く、藩の「天下送り役(幕府の書状や荷物を扱うこと)」「宿送り役(広島藩の書状や荷物を扱うこと)」といった宿駅業務を務めました。

旧千葉家(チバケ)住宅では、毎月、第二土曜日の前日から連続する4日間、一般公開を行っており、座敷棟や庭園の公開、千葉家(チバケ)や海田町(カイタチョウ)に関係する資料なども見ることができます。また、6月・7月は「海田のむかしばなし絵本原画展」を行うほか、庭園も新緑が美しく、クチナシの花が見頃を迎えます。

また、今年は明治維新から150年目を迎え、維新へと向かう幕末期の長州戦争の際には、越後高田藩などの部隊が、海田に滞在しました。その縁で、明顕寺(ミョウケンジ)には高田藩士の墓所もあります。

さらに、町内には古代の遺跡も点在しており、ふるさと館で出土品を展示している「畝観音免古墳群」や、町(チョウ)の無形文化財にも指定されている「火ともしまつり」が伝わる出崎森神社(デサキモリジンジャ)などの由緒ある神社なども多数あります。

皆さまもぜひ、町内の歴史的な史跡をめぐってみてはいかがでしょうか。

町(チョウ)といたしましても、これらさまざまな歴史的な財産なども活用しながら、町(チョウ)の魅力の向上に努めてまいりますので、皆さまのご理解・ご協力をよろしくお願いします。

(参考資料『海田町史(カイタチョウシ)』)