織田幹雄スクエア
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建て替え(タテカエ)から250年、座敷棟主要部はほぼ当時のままですが、実は少し姿を変えた部分があります。右の図をご覧ください。これは建替え(タテカエ)間もない寛政元年(1789年)に作られた屋敷略図(部分)です。赤線の通り、当時は敷地西側の新蔵まで座敷が二間続き、浴室と厠がもう一組あったのが分かります。主たる客は本座敷に泊まりますので、こちらはさしずめ同行者用でしょうか。
ではなぜ、この部分は今失われているのか…話は約80年前にさかのぼります。当時は戦時中で、空襲による火災の可能性を考え、被害を最小限にとどめて座敷棟主要部や蔵を守るため、この部分を取り壊したのです。千葉家には「畳一枚になったとしても、屋敷を守らねば」という言葉が伝わるとか。千葉家の人々がどれほど建物をだいじにしてきたかが分かるエピソードです。