織田幹雄スクエア
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西国街道の宿場町であった海田。本陣・脇本陣に次ぐ休泊施設でもあった千葉家には、街道を行き来する諸藩の武士や、公用で移動する役人などが多く訪れました。年間7回の休泊記録が残る天保11年には、2月に長州毛利家が海田宿に滞在し、千葉家に家臣25人が宿泊しています。おもてなしの膳には、早春らしい白魚の卵とじや、酢牡蠣、水菜の胡麻和えや赤メバル、貝類を使った料理が並んだようです。他にも、長崎年寄を務めた高島秋帆など幕府役人や、薩摩藩の御女中方も千葉家に滞在しました。また、広島城下に最寄りの宿場らしく、藩主帰城を出迎える広島藩士も待合として利用しています。千葉家には、こうした際に集まった藩士たちの寄書も伝わっており、海田ゆかりの藩儒加藤棕蘆などが名を連ねています。