織田幹雄スクエア
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街道の宿場町として海田市(カイタシ)が整備される江戸初期に、広島城下から移り住んだと伝えられる千葉家。海田初代は、神保新四郎常房(1636年没)。以後、屋号を神保屋と称し、家業の酒造業とともに代々藩の天下送役・宿送役の要職を務め、第4代弥五助栄胤(1773年没)のときに、今年建築250年を迎える座敷棟が建替えられました。第6代兵左衛門永胤(1837年没)の代に書かれた「千葉家由緒書」によれば、代々の当主は屋敷内に休所を設け、茶や麦粉を旅人や困窮者にふるまったほか、凶作や火災など災害の際には、地域へ米銀や麦の配布や、蚊帳の貸出もおこなったとあります。兵左衛門と第8代八郎太胤瞭(1867年没)は共に、海田市の年寄役も務めるなど、有力町人として宿場の運営にたずさわりました。