海田町長 西田 祐三(ニシダ ユウソウ)
「世界人となるべし」 力を合わせる
1928年の夏、オランダで開催されたアムステルダムオリンピック。
一人の日本人選手の跳躍が陸上界の新たな扉を開きました。織田 幹雄(オダ ミキオ)氏が三段跳びで日本人初の金メダルを獲得。同時にそれは、アジア人初の快挙でもありました。
それから36年後、1964年夏の東京オリンピック。氏は陸上の総責任者として選手強化の先頭に立つ一方で、世界各国から集まったコーチたちが様々な垣根を越えて交流できる「サロン」を開設し、自由な意見交換の場を提供しました。自分の国の選手だけが強くなればいい、自国の成績さえよければいいという考え方ではなく、皆で知識を共有し合い、力を合わせて陸上競技全体を発展させていこうという氏の「世界人」としての信条があってのことと言われています。
その東京オリンピックから56年後の今年、我々(ワレワレ)はコロナ禍のなかにあります。
幾多の怪我や困難に打ち克ち、陸上の発展に貢献された氏の功績を振り返り、「世界人となるべし」という氏の言葉を噛み締めつつ、皆さんと力を合わせて「新しい日常」づくりに向けて取り組んでまいりたいと思います。