第9回オリンピック・アムステルダム大会・三段跳びで15メートル21を跳び、日本人初の金メダルを獲得。戦後国際スポーツジャーナリストとして日本陸上競技界の発展と青少年の健全育成に尽力するとともに、第18回オリンピック東京大会では、陸上チーム監督、また国際陸上競技大会では、副会長兼コーチ等国際親善に大きく貢献。
平成16年、海田総合公園多目的広場横の芝生地に「織田幹雄氏 顕彰モニュメント」が完成しました。三段跳びの「跳躍」をイメージした、放物線状のモニュメントです。表面には織田幹雄氏が金メダルを獲得した時の跳躍の様子や、生涯の経歴を表示しています。
モニュメントの隣には、織田幹雄氏が金メダルを獲得した時の記録(15メートル21センチ)を表示した体感ゾーンを設備しています。
日本の平和と安全のための基礎づくりに貢献するとともに、本町の旧軍用地(進駐軍接収用地)の日本政府への返還を実現させ、その地に企業を誘致することにより、今日の海田町繁栄の基礎をつくる。また海田西小学校の建設に際しての自衛隊幹部宿舎の移転,本町治水の要である尾崎川排水施設新設事業等各般にわたり郷土づくりの先駆者として大きく貢献。