時代 | 西暦 | 和暦 | 主なできごと |
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縄文 | 畑谷貝塚(黒曜石製石鏃出土) | ||
弥生 | 東谷遺跡(弥生土器出土) | ||
古墳 | 3~4世紀 | 上安井古墳が築造される | |
6世紀前半 | 小請山古墳群が築造される | ||
6世紀後半 | 西谷古墳群が築造される | ||
7世紀前半 | 畝観音免古墳群が築造される | ||
飛鳥 | 645 | 大化元 | 大化の改新、安芸国へも律令制度が浸透する |
奈良 | 701 | 大宝元 | 大宝律令が完成する |
715 | 霊亀元 | 出崎森神社が筑前(福岡県)の宗像社から勧請される | |
鎌倉 |
1176 | 安元二 | 「開田荘」が皇室領系の荘園(八条院領)となり、「かいた」という文字が文献に初めて現れる。この頃まちの中心は、二日市(現在の蟹原付近)にあった |
室町 | 1336 | 建武三 | 南北朝の対立が始まる(日浦山城・串山城築城される) |
1352 | 正平七 | 北畠親房が、勧学科として海田荘地頭職を蓮華院へ寄進する。このとき「海田荘」と表記される | |
1371 | 応安四 | 九州探題今川了俊が、九州下向の際に海田に逗留する | |
戦国 | 1527 | 大永七 | 阿曽沼氏と大内軍、安南郡日浦山で合戦する |
安土・桃山 | 1587 | 天正十五 | 豊臣秀吉、島津氏追討へ向かう際に海田に逗留する |
1590 | 天正十八 | 豊臣秀吉が全国を統一する | |
江戸 | この頃河口に近い海田市へとまちの中心が移る | ||
1601 | 慶長六 | 福島正則、広島入国。検地が行われ、近世の村制度が成立する | |
1619 | 元和五 | 浅野長晟、広島入国 | |
1633 | 寛永十 | 西国街道の宿駅として海田市が整備される | |
1637 | 寛永十四 | 海田市に寛永新開が築調される | |
1654 | 承応三 | 熊野神社が氏神社として造営される | |
1661 | 寛文元 | 海田市に寛文新開が築調される | |
1724 | 享保九 | 奥海田村が郡の代官に指出帳を提出する | |
1735 | 享保二十 | 海田市の儒者加藤友益が、災害に備え村々に麦を蓄えるよう「社倉攷意」を著し、広島藩へ提出する | |
1738 | 元文三 | 海田市の儒者加藤十千、藩儒として召し抱えられる | |
1752 | 宝暦二 | 金屋源兵衛・新兵衛により、明顕寺梵鐘が鋳かえられる | |
1805 | 文化二 | 海田市沖、新堤三百軒の普請替が認められる | |
1814 | 文化十一 | 国郡志編纂のため、安芸郡の村々へ雛型が配られる | |
1825 | 文政八 | 藩儒の頼杏坪などが、藩の絵師山野安嗣(峻峰斎)が描いた三十六歌仙の額を熊野神社に奉納する | |
1838 | 天保九 | 海田市に明神新開が築調される | |
1865 | 慶応元 | 長州戦争のため、幕府軍の越後高田藩兵が海田に宿陣する | |
1867 | 慶応三 | 王政復古の大号令が発布される | |
明治 | 1869 | 明治二 | 版籍奉還される |
1871 | 明治四 | 廃藩置県となる | |
1872 | 明治五 | 大区・小区制が実施され、安芸郡は第三大区となり、海田市村・奥海田村は第三小区となった。先覚舎(今の海田小学校)ができる | |
1873 | 明治六 | 圭運舎(大成舎:今の海田東小学校)ができる | |
1878 | 明治十一 | 海田市に安芸郡役所が置かれる | |
1889 | 明治二十二 | 市町村制施行に伴い、海田市町・奥海田村となる | |
1894 | 明治二十七 | 山陽鉄道糸崎・広島間が開通し、海田市駅が設置される 日清戦争がはじまる |
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1900 | 明治三十三 | この頃、海田市でブドウ栽培が始まる | |
1903 | 明治三十六 | 海田市・呉間に呉線(官設鉄道)が開通する | |
1904 | 明治三十七 | 日露戦争がはじまる | |
1907 | 明治四十 | 安芸郡に大水害が発生し、奥海田村は家屋の流出や死傷者を多く出す | |
大正 | 1922 | 大正十一 | 山陽本線安芸中野・海田市間が複線開通する |
昭和 | 1928 | 昭和三 | 海田市町出身の織田幹雄氏がオリンピック・アムステルダム大会の三段跳で優勝し、日本人初のオリンピック金メダリストとなる |
1941 | 昭和十六 | 太平洋戦争(第二次世界大戦)がはじまる | |
1945 | 昭和二十 | 日本が敗れ、終戦を迎える | |
1946 | 昭和二十一 | 連合軍が海田に進駐する | |
1947 | 昭和二十二 | 海田中学校ができる | |
1952 | 昭和二十七 | 奥海田村、町制施行に伴い東海田町となる | |
1955 | 昭和三十 | 海田市旧陸軍用地が日本へ返還される | |
1956 | 昭和三十一 | 海田市町・東海田町の両町が合併し、海田町となる | |
1958 | 昭和三十三 | 旧海田警察署跡へ海田町役場が移転(現在地)する | |
1966 | 昭和四十一 | 国道2号バイパス(海田~東雲)が開通する | |
1973 | 昭和四十八 | 西海田小学校(今の海田西小学校)ができる | |
1975 | 昭和五十 | 海田観音免クスノキ、広島県天然記念物となる | |
1978 | 昭和五十三 | 畝観音免古墳群の発掘調査が実施され、副葬品が多数出土する 海田町役場新庁舎ができる(上市) |
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1979 | 昭和五十四 | 南海田小学校(今の海田南小学校)ができる 海田湾の埋め立てがはじまる 火ともしまつりが海田町無形民俗文化財となる |
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1985 | 昭和六十 | 海田町立図書館ができる | |
1986 | 昭和六十一 | 海田町合併三十周年を記念して、名誉町民に織田幹雄氏と加藤陽三氏が選出される。町木クスノキ、町花ヒマワリが指定される | |
1988 | 昭和六十三 | 海田西中学校ができる | |
平成 | 1991 | 平成三 | 千葉家書院が広島県指定重要文化財、庭園が広島県指定名勝となる |
1993 | 平成五 | ひまわり大橋ができる | |
1995 | 平成七 | 海田町ふるさと館ができる | |
1997 | 平成九 | 海田町ひまわりプラザができる | |
2000 | 平成十二 | 東広島バイパスの建設工事に伴い、上安井古墳の発掘調査が行われる | |
2004 | 平成十六 | 貞福寺モッコクが海田町天然記念物となる | |
2009 | 平成二十一 | 三村敏之氏に海田町町民栄誉賞が付与される | |
2011 | 平成二十三 | 千葉家住宅が海田町に寄贈される | |
2017 | 平成二十九 | 三宅家住宅が国登録有形文化財となる | |
令和 | 2020 | 令和二 | 織田幹雄スクエア(海田公民館・織田幹雄記念館)ができる |
2021 | 令和三 | 大下剛史氏に海田町町民栄誉賞が付与される | |
2023 | 令和五 |
東広島・安芸バイパスが開通する【3月】 |