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海田町歴史年表

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年11月21日更新ページ番号:0000691

海田町歴史年表

時代 西暦 和暦 主なできごと
海田町歴史年表
縄文     畑谷貝塚(黒曜石製石鏃出土)
弥生     東谷遺跡(弥生土器出土)
古墳 3~4世紀   上安井古墳が築造される
  6世紀前半   小請山古墳群が築造される
  6世紀後半   西谷古墳群が築造される
  7世紀前半   畝観音免古墳群が築造される
飛鳥 645 大化元 大化の改新、安芸国へも律令制度が浸透する
奈良 701 大宝元 大宝律令が完成する
  715 霊亀元 出崎森神社が筑前(福岡県)の宗像社から勧請される

鎌倉

1176 安元二 「開田荘」が皇室領系の荘園(八条院領)となり、「かいた」という文字が文献に初めて現れる。この頃まちの中心は、二日市(現在の蟹原付近)にあった
室町 1336 建武三 南北朝の対立が始まる(日浦山城・串山城築城される)
  1352 正平七 北畠親房が、勧学科として海田荘地頭職を蓮華院へ寄進する。このとき「海田荘」と表記される
  1371 応安四 九州探題今川了俊が、九州下向の際に海田に逗留する
戦国 1527 大永七 阿曽沼氏と大内軍、安南郡日浦山で合戦する
安土・桃山 1587 天正十五 豊臣秀吉、島津氏追討へ向かう際に海田に逗留する
  1590 天正十八 豊臣秀吉が全国を統一する
江戸     この頃河口に近い海田市へとまちの中心が移る
  1601 慶長六 福島正則、広島入国。検地が行われ、近世の村制度が成立する
  1619 元和五 浅野長晟、広島入国
  1633 寛永十 西国街道の宿駅として海田市が整備される
  1637 寛永十四 海田市に寛永新開が築調される
  1654 承応三 熊野神社が氏神社として造営される
  1661 寛文元 海田市に寛文新開が築調される
  1724 享保九 奥海田村が郡の代官に指出帳を提出する
  1735 享保二十 海田市の儒者加藤友益が、災害に備え村々に麦を蓄えるよう「社倉攷意」を著し、広島藩へ提出する
  1738 元文三 海田市の儒者加藤十千、藩儒として召し抱えられる
  1752 宝暦二 金屋源兵衛・新兵衛により、明顕寺梵鐘が鋳かえられる
  1805 文化二 海田市沖、新堤三百軒の普請替が認められる
  1814 文化十一 国郡志編纂のため、安芸郡の村々へ雛型が配られる
  1825 文政八 藩儒の頼杏坪などが、藩の絵師山野安嗣(峻峰斎)が描いた三十六歌仙の額を熊野神社に奉納する
  1838 天保九 海田市に明神新開が築調される
  1865 慶応元 長州戦争のため、幕府軍の越後高田藩兵が海田に宿陣する
  1867 慶応三 王政復古の大号令が発布される
明治 1869 明治二 版籍奉還される
  1871 明治四 廃藩置県となる
  1872 明治五 大区・小区制が実施され、安芸郡は第三大区となり、海田市村・奥海田村は第三小区となった。先覚舎(今の海田小学校)ができる
  1873 明治六 圭運舎(大成舎:今の海田東小学校)ができる
  1878 明治十一 海田市に安芸郡役所が置かれる
  1889 明治二十二 市町村制施行に伴い、海田市町・奥海田村となる
  1894 明治二十七 山陽鉄道糸崎・広島間が開通し、海田市駅が設置される
日清戦争がはじまる
  1900 明治三十三 この頃、海田市でブドウ栽培が始まる
  1903 明治三十六 海田市・呉間に呉線(官設鉄道)が開通する
  1904 明治三十七 日露戦争がはじまる
  1907 明治四十 安芸郡に大水害が発生し、奥海田村は家屋の流出や死傷者を多く出す
大正 1922 大正十一 山陽本線安芸中野・海田市間が複線開通する
昭和 1928 昭和三 海田市町出身の織田幹雄氏がオリンピック・アムステルダム大会の三段跳で優勝し、日本人初のオリンピック金メダリストとなる
  1941 昭和十六 太平洋戦争(第二次世界大戦)がはじまる
  1945 昭和二十 日本が敗れ、終戦を迎える
  1946 昭和二十一 連合軍が海田に進駐する
  1947 昭和二十二 海田中学校ができる
  1952 昭和二十七 奥海田村、町制施行に伴い東海田町となる
  1955 昭和三十 海田市旧陸軍用地が日本へ返還される
  1956 昭和三十一 海田市町・東海田町の両町が合併し、海田町となる
  1958 昭和三十三 旧海田警察署跡へ海田町役場が移転(現在地)する
  1966 昭和四十一 国道2号バイパス(海田~東雲)が開通する
  1973 昭和四十八 西海田小学校(今の海田西小学校)ができる
  1975 昭和五十 海田観音免クスノキ、広島県天然記念物となる
  1978 昭和五十三 畝観音免古墳群の発掘調査が実施され、副葬品が多数出土する
海田町役場新庁舎ができる
  1979 昭和五十四 南海田小学校(今の海田南小学校)ができる
海田湾の埋め立てがはじまる
火ともしまつりが海田町無形民俗文化財となる
  1986 昭和六十一 海田町合併三十周年を記念して、名誉町民に織田幹雄氏と加藤陽三氏が選出される。町木クスノキ、町花ヒマワリが指定される
  1988 昭和六十三 海田西中学校ができる
平成 1991 平成三 千葉家書院が広島県指定重要文化財、庭園が広島県指定名勝となる
  1993 平成五 ひまわり大橋ができる
  1995 平成七 海田町ふるさと館ができる
  2000 平成十二 東広島バイパスの建設工事に伴い、上安井古墳の発掘調査が行われる
  2004 平成十六 貞福寺モッコクが海田町天然記念物となる
  2009 平成二十一 三村敏之氏に海田町町民栄誉賞が付与される
  2011 平成二十三 千葉家住宅が海田町に寄贈される
  2017 平成二十九 三宅家住宅が国登録有形文化財となる
令和 2020 令和二 織田幹雄スクエア(海田公民館・織田幹雄記念館)ができる